日刊OkiMag

沖縄の民話

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 今回は、『意地ぬ出じらぁ手引け。手ぬ出じらぁ、意地引け。』の諺で有名な糸満市にある白銀堂という氏神を祭ったお宮の由来について。

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■白銀堂の由来   【糸満市】

 那覇から南へ12km、沖縄本島の南端に漁港の町で知られる糸満市があります。 男達がサバニ(小船)で魚を釣ってくると、女達は頭に乗せた盥(たらい)にそ の魚を入れ、那覇の町まで運び、「イヨー、コーンチュ、ウーラニー。」(魚はいらないかぁ。)」と声高らかに売り歩きました。

 この糸満の漁師達は小さなサバニで、遥かインド洋まで行ったともいわれ、 また、エジプトへ遠征中のナポレオンが、地中海でサバニに乗って漁をしてい る者を発見したので、調べて見ると東洋人だと分かったと言うが、それも糸満 の漁師で、ナポレオン一行がイーストマンと言ったところ、それが訛り、イーストマン、イトマンになったという言い伝えもあります。 まさか地中海まで、遠征したとは思えませんが、こうした話が生まれるほど、 糸満の漁師は、遠くまで航海して漁業を行っていました。

 昔、その糸満村にマンクーという大変働き者の漁師がいました。ある時マン クーは櫂(かい)を漕ぎ、サバニを走らせていたところ、突然大きな波が押し寄 せサバニもろとも波に呑まれてしまいました。 泳ぎの達者なマンクーは、なんとか岸まで泳ぎつくことができたものの、 大事な漁具をすべて失ってしまいました。困り果てたこの漁師をみて、薩摩の 児玉左衛門という武士が金を貸しました。マンクーは大変喜び、翌年の三月ま でには返すことを約束し、薩摩へ帰る児玉左衛門を見送りました。

 マンクーは懸命に働きましたが時化(しけ)続きで、食べていくのもやっとで した。またたたく間に月日がたちとうとう返済の日がやってきました。 マンクーは、児玉左術門に返すことがでさないことを深く詫び、次の年には 必ず返すことを約束しました。しかし、次の年にもやはり返すことができず、 また次の年までと願いました。

 そして、とうとうその日がまたやって来ました。 マンクーはもう、返すことのできない自分をはずかしく思い、薩摩の武士の 姿をみつけると海の近くにある洞窟に身を隠しました。それを見つけた薩摩の 武士は、「きさま、人を侮辱するか。」と刀を振り上げてマンクーに迫りまし た。その恐ろしい剣幕に、マンクーは声を限りに言いました。

 「まっ、待ってください。もう少し待ってください。きっときっと払いますから。あなた様が、怒りにまかせて刀で私を切ったところでなんにもなりませ ん。恩義あるあなた様から、借りたお金、この次はきっと払います。家の年寄 りから聞いた言葉に『意地ぬ出じらぁ、手引け。手ぬ出じらぁ、意地引け。』 というのがございます。」  

 「お前の今言った言葉はなんのことだ。」  「は、はい、沖縄の諺では、短気をおこしたら、手を出さないようにし、手 が出ようとしたら、心をしずめよ。と戒めています!」  それを聞いた武士は「よろしい今度だけは勘弁しょう。きっと来年までには お金を準備しておくように!」と言って、薩摩へと再び帰って行きました。

 薩摩に着いた武士は、留守を守る母と妻のもとへ、足早に向かいました。 家へ着いたのは、夜も大分ふけた時分でした。そこで、そっと家に入ると、 玄関にみたこともない男ものの履物がありました。心中穏やかでない武士が部 屋に入ると、妻が男と寝ているではありませんか。武士は、狂わんばかりに怒 り男を殺そうと刀を振り上げました。その時武士は糸満のマンクーの言った 『意地ぬ出じらぁ手引け。手ぬ出じらぁ、意地引け。』という言葉を思い出し 心を静めて男をよく見ると、それは男物の着物を着た母親でありました。

 武士は全身の力がスーッと抜けたかのように、その場にヘナヘナと座りこみ、 しばらく言葉もでませんでした。母親は、女ばかりでは何かと心配なので、男 の姿をして妻と寝ていたのでありました。  「ああ恐ろしい。命が縮むとはこのことだ。マンクーの言葉を思いださなか ったら、この手で妻と母親を殺していたところだった。」

 次の年、武士はまた琉球へと渡りました。早速、武士はマンクーの元へ行き ました。「さぁ、メンソーリ。どうぞ、お茶も御馳走も準備してます。やっと お金をお返しすることができます。イッペー、ニヘーデェービル。」  マンクーは、待ちわぴていたかのように、借りたお金を差し出しました。

 「いや、この金は受け取るわけにはいかんでごわす。おいどんはいりもうさ ん。」と武士は答えました。  「貴方様が貸してくださったお陰で、今こうして暮らすことができるのでご ざいます。どうか、受け取ってください。」  「いや、命びろいしたのは、おいどんじゃ。あの言葉で、母親を殺さずにす んだんじゃ。」武士は、薩摩での事を話しました。

 ところが、それでもマンクーは、「いやこのお金は、貴方様の物でございま す。ぜひお受け取りください。お願いします。」  「ならん。ぜったいならん。」 と押し問答は続き、互いに譲り合って、受け取ろうとしませんでした。 そこで、マンクーはその金を洞窟の中に埋め、その前にお堂を建て、糸満の 男達の海上の平安と村の繁栄を祈ることにしました。それには、薩摩の武士も 大賛成しました。

 この話は、たちまちのうちに沖縄中に広がり、人々はその洞窟を拝むようになりました。それからこの洞窟を白銀堂と呼ぶようになりました。 白銀堂は、糸満漁港へ差し掛かる手前、車の往来の激しい国道331号沿いに どっしりと構えたお堂であります。およそ二百年前まではこの白銀堂の前は白 い砂浜だったらしいが、後に埋め立てられて、海からはかなり離れた場所にな っています。

 白銀堂の鳥居を潜ると、ひっそりとした境内南側に巨岩があり、 人々は、それを威部といって祀っています。村の綱引きやハーリー(爬龍船競 争)など重要な神事には、この白銀堂で祈願が行なわれ、また航海安全、家内 安全、豊漁、豊作とありとあらゆる願いを叶えてくれるということです。

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