日刊OkiMag

沖縄の民話

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 今回は、嘉手納町に伝わるジャー(大蛇)についてのお話。

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■屋良漏池(やらむるち)の大蛇      【嘉手納町】

那覇から北へ24キロ、沖縄本島の中央部にある嘉手納町は町の大部分が軍用地に接収され、毎日のように空軍機が激しい爆音とともに嘉手納の空を 飛び交っています。   その嘉手納基地に面した字屋良の近くに屋良漏池(やらむるち)と呼ばれる池があります。戦前まで、屋良漏池は鬱蒼(うっそう)とした森の中にあり、約1,000坪の広さで、底無しの深さと言われていました。

  その昔、この屋良漏池に恐ろしいジャーが住んでいました。ジャーとは、人によって大蛇とも、龍とも大鰻(おおうなぎ)とも言っています。 屋良漏池の南には、現在こそ米軍の嘉手納飛行場になっていますが、昔は広々とした千貫田(せんがんだ)と呼ばれる平坦な農地が広がっていました。

  ジャーは、漏池から現れると、村人が汗水たらして作ったこの千貫田の作物を食い荒らし、家畜の山羊や豚、ときには牛、馬まで食っていました。 しかも、このジャーの機嫌を損なうと、旱魃(かんばつ)や長雨が続きました。

  義本王の時代に、しばしば家畜が襲われるので、たまりかねた村人がこのジャーの通り道に薪の灰をたくさん集めてまき、這うことができなくなったジャーを捕まえて食べてしまいました。

  それから、七ヶ月の間、日照りが続きました。沖縄中のすべての泉が枯れどこの田畑の農作物も茶色にほうけて、立ち枯れてしまいました。 人々は食うものも飲む水もなくなり、飢えのため多くの人々が亡くなりました。その後、雨が降り出したので人々はこれで災いは去ったと思いました。 しかし、その雨はいつになっても止まず、七ヶ月も続き、煮炊きする薪が無くなって苦労するばかりか、疫病が流行って、また多くの人々が亡くなりました。

  人々は、口々に王に徳がないから、こんな災いが起こるのだと義本王を責めました。この災いのもとが屋良漏池に住むジャーの怒りだと知った義本王は、漏池のジャーに辰年生まれの娘を生け贄(いけにえ)に捧げることにしました。

  やがて、屋良の村に次のような高札(こうさつ)が立てられました。 「20歳の辰年の娘で、生け贄になるものがおれば、その家族に一生食べ物を与える。」

  屋良の村の金持ちの娘がちょうど20歳の辰年でした。村人は、公儀(こうぎ)の命令だからと、その金持ちの娘を生け贄にしようとしました。  しかし、金持ちは、「褒美も食べ物も欲しくはない。この娘がいなくなったら、なんの甲斐があろうか。」と、村人がどう頼んでも娘を生け贄にしようとはしませんでした。

  ちょうど、その頃、首里から屋良に来て住んでいる父と娘がいました。 この親子は鍬(くわ)の持ち方さえ知らず、その上父親は目が見えませんでした。そのため、この親子は、ようやくその日、その日をしのいでいました。

  「私が生け贄になりさえすれば、目が見えないお父さんでも一生食べていける。」娘は、そう思うと、公儀に自分が生け贄になると名乗りでました。 父親がこれを知って驚き、娘を止めようとしましたが、その時には、もう娘を生け贄にする準備が進められていました。

  その日になると、屋良漏池に生け贄を捧げることを聞いて、近郷、近在の村人たちが、漏池に集まってきました。娘は、降り続く雨の中に、白装束を身にまとって漏池のほとりに立ちました。王が用意した供物の前で、神を祭る神女たちが祈願を始めました。

  村人たちが息を殺して見ていると、突然風が激しく吹き、雨がひときわ激しくなり、日頃は不気味なほど静かな屋良漏池に大きな渦巻きが起こって、その中から巨大なジャーが姿を現しました。

  ジャーは、赤い皿のような目を光らせながら、次第に娘の立つ岸に近づいてきました。人々がどよめいても、娘は動かずに目を固く閉じていました。 ジャーが大きな口を開け娘をひと飲みにしようとしたその瞬間、激しい雷  鳴とともに、天から真っ直ぐに稲光が下ってジャーを打ちました。 人々は、その激しい落雷のまばゆい光にしばらくの間気が遠くなっていま  した。

  人々が気づいたとき、ジャーの姿はどこにもありませんでした。漏池の岸の岩の上にはうずくまっている娘がいました。この時になって、先ほどまで空を覆っていた雲が晴れ、七ヶ月も姿を見せなかった太陽の光が屋良漏池に差し込んでいるのに人々は気づきました。

  娘は、ジャーを退治したということで、父親ともども義本王に呼ばれ、たくさんの褒美を与えられました。それから、旱魃(かんばつ)になると屋良村の老女たちは、七個の卵を池に投げ入れ、雨乞の儀式を行なうようになったということです。現在、米軍が半分に埋め立てた屋良漏池の岸には、この娘を偲ぶかのように、神を祀る石の香炉があるということです。

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