日刊OkiMag

沖縄の民話

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 今回は、普天間ヘリ基地で知られている普天間にある普天間宮の発祥についてのお話。

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■普天間権現(ふてんまごんげん)    【宜野湾市】

  沖縄本島中部に位置する宜野湾市は、今こそ市の三分の二が米軍基地で占められている基地の町ですが、戦前はのどかな田園風景が広がる農村でした。そこに琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)の一つで、熊野大神と沖縄の大氏神を祭る普天間宮(ふてんまぐう)と呼ばれる神社があります。

  もともとは自然洞窟で、洞内に白鶴岩・明王石・獅子座などと呼ぶ八つの霊石があり、鍾乳洞自体が信仰の対象になっています。

  この洞窟は、もともと農民たちが農具を置いたりする洞窟でありましたが、いつ誰が祀ったかは不明ですが、焼物の観音像が安置されるようになって、人々が信仰するようになり、やがて熊野権現の信仰が移植され、さらに普天間神宮寺が置かれるようになりました。

  この普天間宮には次のような話が伝えられています。

  昔、首里の桃原村(とうばるむら)の旧家に二人の娘がいました。妹も美しかったが、姉娘は世にも稀な美しさという評判でした。この姉娘は不思議な娘でした。ある時、機(はた)を織っている姉娘が機に寄り掛かったまま居眠りをしていました。

  母親は、それを見て行儀が悪いと思って声をかけて起こしてやりました。

  目を覚ましたこの娘が言うには、「残念なことをしました。お父さんの船が嵐に会って沈みそうになったので、両方の手でお父さんと弟、口にお兄さんをくわえて助けようとしたが、目を覚ますときに口を開けてしまったので、お兄さんを助けることができなかった。」と言うことでした。

  はたして、船旅に出ていた父親と弟は無事に帰って来ましたが、兄は嵐の海にのまれて帰らぬ人となりました。

  この姉娘は、不思議なことに次々と寄せられる縁談を断って、日がな一日中家にひきこもって糸を紡いで機を織り、家人以外に顔を見せることがありませんでした。ところが、妹の方が先に縁あって他家に嫁ぎました。

  それでも姉娘を一目見ようと家の周りを歩き回る若者たちは絶えることはありませんでした。娘の家の者は、そんな若者を見つけると声をひそめて頼みました。「どうか娘のことは構わないで下さい。なにしろ変わり者で、人に姿を見られたら死んでしまうと言っているのですから。」

  そう言われると若者達は、なおさら意地になってやって来ました。頬かむりをして石垣によじ登ったり、近くのガジュマルの大木の枝の間から覗き見しようとしましたが、娘の方は、それを知ってか庭先に出ることもなくなったので、誰も彼女を見ることができませんでした。

  なんとか姉娘を見ようとする若者達は知恵をしぼったあげく、妹の夫に頼むことにしました。「そんなことを言っても無理だよ。私さえ顔を見たことがないのに。」と断っていた妹の夫も、若者達が、「そんな馬鹿なことがあるもんか。義理の弟にさえ顔を見せないなんて。そんなら美しい娘だなんて大嘘で大変な醜女(しこめ)なんだろう。そういう噂を触れ歩いてやるからな。」とまで言うので、とうとう承知することにし、そこで訳を話して妻に頼みました。

  妻も自分の姉が醜女だなんて言いふらされたら、名誉にかかわることだと怒りました。「私達の結婚式にも姿を見せなかったくらいですから、ただあなたに会ってくれと姉に頼んでもダメでしょう。それでは、今日私が実家に行ったら、何気ないふりをして門のそばに隠れていてください。必ずあなたに姉の姿を見せるようにします。」こう言って、妻は実家に出か  けて行き、いつものように機を織っている姉と話し込んでいましたが、夫がやってくるころあいになると庭の池の水を汲みにと言って庭にでました。

  夫は妻に言われたように、門のそばに隠れていると、家から走り出た女がどうしたはずみか池に落ち、大声で助けを求めました。夫は、思わず門のそばから助けにでようとしましたが、池に落ちたのは妻だったので、妻の言葉を思い出して、思いとどまりました。

  家の中から、首に機織りの糸をかけたままかけよって池に落ちた妻を助けた女がいました。それが姉娘でした。門の側に立っていた男も息を飲むような美しさでした。その時、この男の後をつけて来た若者が、思わず叫びました。

  「見たぞ。とうとう見たぞ。」姉娘は、その声を聞くと、はっと顔色を変え、妹がその袖をおさえる暇もなく、そのまま家を飛び出して、姿を消しました。

  後には、首にかけていた糸が一筋だけ残っているだけでした。人々は、その糸を辿っていきました。糸は北へ北へと続き、姉娘が通った後は、松の木以外は、すべてひれふしたように北になびいていました。松の根株から、若芽が出ないのは、この時なびかなかったからと言います。

  糸は十キロも北にある普天間の洞窟まで続いていました。人々もその洞窟に入って、隅々まで探したが、姉の姿はどこにも見えませんでした。のちに人々は、姉娘はこの洞窟の神様になったと、そこに社を建てました。それが、普天間権現であるということです。

  普天間権現は霊験あらたかな神でした。ある時、薩摩の侍が祈願に立ち寄った時、この洞窟に刀を忘れ、ようやく船に乗った後でそのことを思い出しました。その侍は船が普天間の沖合いを通る時両手を合わせて、普天間の神に刀が無事であるように祈願しました。翌年、もう刀などは人に盗まれてないだろうと思いながらも普天間の洞窟に立ち寄ると、刀はそのままの場所にありました。

  よく見ると、刀の鞘(さや)には、たくさんの小さな傷がありました。この傷は、刀を見つけた人がその刀を取ろうとすると、たちまちその刀が毒蛇のハブの姿に変わったので、そのハブを恐れて叩いた時の傷だったということです。

  また、普天間の神は、中城間切の安谷屋の貧乏な女や石川市の東恩納の孝行な若者に、白髪の老人の姿で現れ、黄金を与えた神としても評判になりますます多くの人の信仰を集めるようになりました。

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