日刊OkiMag

沖縄の民話
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 今ではあまり見られなくなりましたが、戦前の沖縄では旧暦の八月十日には、
 赤飯を炊き、豚の料理など数々の御馳走を作って、仏壇に供えたそのおさが
 りをみんなでいただく習慣がありました。
 今回はその起りについてのお話です。

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■八月十日の折目(うゆみ)    【南風原町】

  昔、南風原間切(はえばるまぎり)宮城村(みやぐすくむら)に安平田と
 いう百姓の若者がいました。
  ある日、この若者が朝早く野原に草刈りに出かけました。
  草を刈りはじめる頃になって、にわか雨が降り出しました。

  若者は近くにある、ごく最近人を葬ったばかりの小屋がけの新しい墓で雨
 宿りをしていると、突然墓の入口の穴から手が出て来て安平田の後髪を引っ
 張りました。
  淋しい墓のことですから、安平田は無気味でぶるぶる震えながら、
 「お前は化け物なのか。それとも人間なのか。」と勇気を出して尋ねました。

  すると、ひっぱっていた後髪を離して、蚊の鳴くような小さな声で、
 「私は化け物ではありません。私は人間です。どうか驚かないで聞いて下さ
 い。」と言いました。
  安平田は、いよいよ震えて、今にも気を失いそうです。

 「私は兼城按司(かねぐすくあじ)の娘です。病気が重くなって、気を失っ
 ているのを死んでしまったと思い込まれて、この墓に葬ってしまわれたので
 す。墓に入れられてから気がついてこのとおり生きていますが出られずに
 困っています。どうか、私を助けて下さい。」と墓の中から女の声が救いを
 求めてきたので、安平田もようやく落ち着いて、人夫を連れて来て墓を開い
 てみると、青ざめた若いきれいな娘が棺の中からはい出してきました。

  安平田は墓の中で一昼夜も過ごした半死半生の娘を、抱き上げて墓の外に
 出しました。娘は疲れ果てて声も出ません。
  安平田は自分の家に連れて帰り、手厚く介抱してあげました。
  そのうち娘は、元気を取り戻しました。

  そして、「ありがとうございます。私は兼城按司のひとり娘です。あなた
 のおかげで死んだはずのものが、こうして助かりました。ほんとうにありが
 とうございます。その御恩返しは、どんなことでもお申し出のとおりにいた
 しますから、おっしゃって下さい。」と心から感謝しました。

  お城の中では、一人娘を亡くしたので、ひっそりと悲しみに沈んでいまし
 たが、娘が生きていることを聞いて兼城按司も妃もびっくりして大騒ぎにな
 りました。
  「これこれ、家来の者たちよく聞くがよい。死んだはずの姫が助かって
 いるそうだ。ありがたい。早く駕篭(かご)を出して姫を迎えてきてくれ。」
 と叫びました。

  早速、姫を迎えた兼城の城は、盛大なお祝いをしました。その日がちょう
 ど旧暦の八月八日でしたので、兼城按司はこの日を佳例(かれい:めでたい先
 例)の日として、赤飯を炊いてお祝をする日にきめました。

  姫はすっかり快復し、元気になりましたので、吉日を選んで大里の若按司
 と婚礼の式をあげることになりました。
  それを知った安平田は、姫の嫁入りの御輿(みこし)をかつがせてもらう
 ことを願い出ました。いよいよ婚礼の日になりました。

  安平田は姫の御輿をかつぐことができたので、都合よく姫に会うことがで
 き、安平田は道中、小さな声で姫に言いました。
  「お姫さま、あなたは私との約束をお忘れになったのですか。」
  すると、姫は急にかごの中で、「あ、痛い。痛い。」と叫びました。
  道中の者はみんな驚いて、行列を止めて、「どうかなさいましたか。」と
 尋ねました。

  姫は、「急にお腹が痛くなりました。このままではとうていお城にはいけ
 ません。行けたとしても、こんな状態では恥ずかしい。あ、痛みます。どう
 か兼城のお城まで引っ返してください。」と言いました。
  そこで、仕方なく行列は城に戻りました。

  城に戻った姫は、自分の部屋に入ったきり出て来ません。
  兼城按司も妃も心配して尋ねました。
  「私は死んだはずのものです。その私が生き返ったのは安平田のおかげで
 す。その私の命の恩人である安平田を裏切ることはできません。」
 と姫は泣きながら答えました。

  「なるほど、安平田はおまえを救ってくれた。しかし、あの男は身分の低
 い百姓ではないか。お前を百姓の妻にすることはできない。あの男には、わ
 しがよく話してきかす。恩はちゃんと返してやる。よいか姫、お前は大里若
 按司の所へ嫁に行くのじゃ。」
  兼城按司はさとしましたが、姫は聞き入れません。

  とうとう兼城按司と妃は仕方なく、姫と言うとおりに安平田を養子として
 兼城の城に迎えました。安平田はそれから学問を学んだり、武芸を学んだり
 して兼城按司の後を継ぐことになりました。
  それからというもの、兼城の城は豊かになり、兼城按司の子孫も繁栄しま
 した。

  この話が沖縄中に広まり、いつしか八月八日は米寿の日として、八月十日
 にあらためて折目といってお祝いをするようになったということです。
 

◆折目:季節ごとに行われる祭りのこと。昔の沖縄は貧しくて、必要なカロリー
 を十分に取っておらず、一般の人々の健康を向上させるために、沖縄の政治家
 達が、季節季節の折りに触れてお祭りを盛んにするように達しを出した。
 日頃食べられない肉や豆腐、魚など山や海の珍味の御馳走を祖先や神様に供え
 そのお下がりを家族や親類で食べて栄養をみたすようにしむけた。
 その行事を折目(うゆみ)と言うようになった。
 八月十日の折目もその折目の一つである。

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