日刊OkiMag

沖縄の民話
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 今回は、熊との間にできた子供についてのお話しです。

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■熊女房  【那覇市】

  昔、琉球の役人が国王の命令で中国へ行く途中、八重山か宮古の離島の島の
 沖まで来たとき、暴風になって船が沈んでしまいました。
  その船に乗っていた役人は、船の板切れにしがみついて、ようやく無人島に
 辿り着きました。 

  その島には人間はいませんでしたが、雌の熊がいました。
  島に、はい上がって死んだようになっていると熊がとてもめずらしがって、
 木の実を持ってきて食べさせてくれました。 
  役人は、その島から逃げようとしても、船がなく、逃げられないので暮らし
 ていると、寒いときには、その雌の熊は死んだ熊の死体のあるところから熊の
 皮を持ってきて着せてくれ、また空腹になると木の実を持ってきて食べさせて
 くれました。

  そのうち彼は、この熊と結婚して、やがて男の子が生まれました。
  この男の子は、顔も手足も人間だか、身体中に熊のような長い毛が生えてい
 ました。
  子供が生まれてから三、四年経ったころ、雌熊が山へ食べ物を取りに行った
 とき、その島の沖を貿易船が通っていたので、彼は海岸の高い崖に登り、大声
 で手まねきして、「おーい、来てくれ。」と叫びました。

  そこを通っていたのは、琉球の船でした。
  その船乗り達は、彼を見つけると、「よし。」と叫んで船をその島に寄せて
 来ました。 
  彼は息子を抱き抱えると、すぐにその船に飛び乗りその船で琉球に帰ってき
 ました。

  雌熊が食べ物を集めて浜辺へ戻ってきてみると、彼も子供もいないので、熊
 は、海が見える崖の所へ行って、悲しみのあまりアダンの木の傍で立ったまま
 死んでしまいました。

  琉球へ着いたこの男の子は賢くて学校では学問が誰よりも優れていました。
  しかし、他人には自分の体を見せないようにし、人のいる所では水浴びをし
 ませんでした。
  また、食事のときは、箸が使えず手掴みで食べました。

  その子が大きくなり、父親に聞きました。「私の母親は、誰ですか。」
  父親は「一番科(いちばんこう)になって唐の国に留学出来るようになっ
 たら教えてやる。」と言いました。

  一番科とは、琉球国の官史登用試験に最上位で合格する事で、一番科にな
 れば、唐の国に留学することができました。
  その子は母親に会いたい一心で一生懸命勉強し見事に一番科になりました。
  学問を教えた師匠もその子が唐の国に留学するので大変喜び「私が教えた子
 が、唐に行くということは、私にも名誉なことだ。今日は私がご馳走してやろ
 う。」と言いました。

  その子は家に帰ると、父親に「今日はお師匠様の家でご馳走すると言われた
 が、私は行かない。」と言いました。
  父親が「せっかくお師匠がお招きしてお祝いしてくださるのなら、食べなく
 てもいいから、行ってきなさい。」
 と言うので師匠の家へ行くと、たくさん御馳走が出されましたが彼は食べよう
 としませんでした。

  それで師匠が、「どうして食べないのか。私の家の食事はまずいというの
 か。」と言い、友人達も「お師匠の食事を食べないのはお師匠様に無礼だよ。
 食べなさい。」と言うので、仕方なく手で食べ始めました。

  これを見て、友人達は「こいつは野蛮人だ。彼を唐に行かせたら琉球の恥
 になる。これでは二番科の者を行かそうではないか。」と皆が言ったので
 その子は泣いて家に帰ってきて父親に事情を話しました。 

  父親は「そうか、それならこれから毎日、お箸を使う練習をしなさい。」
 と言って、父親は、その子に毎日箸を使って食事をする練習をさせたので、
 箸を使うのが上手くなりました。
  その子は、師匠のところへ行って「もうお箸を上手に使えるから、唐に行か
 せて下さい。」と頼みました。
 「それなら唐に留学しても良い」と許されて唐の国に留学しました。

  留学を終えて帰ってきて、父親に尋ねました。
 「お父さん、私の母親はどこにいますか。教えてください。」と言うと父親は
 「お前の母親は、熊だよ。」
 「熊でもいいから私の母親に一目会わせてください。」と言うので、父親は
 船を頼んでその子を連れて母熊のいる無人島に行きました。

  すると、あれから長い年月が経つのに、母熊はアダンの木につかまって立っ
 たまま死んでいました。
  その子が駆け寄って「お母さん。」とすがりつくと、母熊の骨はサラサラと
 崩れました。
  子供は「お母さん、私はこんなに立派になったよ。」と泣きながら、骨を
 拾って沖縄に帰り、その骨を葬むりました。
  この子は、後に大変出世して、偉い人になったということです。

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当民話は、沖縄国際大学文学部 遠藤庄治教授のご厚意により掲載させて頂いてお
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Copyright (C) 1999 沖縄まが人


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